今回のセミナーの申込みは、敢えていつもとは違う選択をしてみました。
カレンダーに参加するつもりで『予定を入れるかも?!』という予定を入れておいて、
自分の予定なのに決定せず自分自身の未来を焦らしてみる。
それと二部制(午前・午後)のセミナーの場合、
「通しで参加しておかないとその場に馴染めないのでは?」
とか、
「自分の知らないところで大事なお話をされていたりして、途中からの参加だと勿体ない?!」
みたいな感情が私の中にほんの少しあることを分かった上で、
敢えて午後からの参加を選択してみる。
やってみたら、
勝手な思い込みや先回りして勝手に考えていたことだと気づきました。
つまり、考えなくて良い事を考えすぎて悩んでいたんです。
と同時に、
『自分に少しでも関係するかもしれないと思うと、情報を沢山取り入れて持っていた方がお得だと思い込む癖』
を自分の中に発見。
(情報は持っていた方がお得と思う時点で、だいぶ前のめりな思考、立ち位置にもなっていますが。)
ちょうど2日前に観た映画が、映画館を出ても涙が込み上げる程、感情を揺さぶられたこともあり、
それ以降、挿入歌とともに頭に引っかかってグルグル回っている状態で参加しておりました。
講師に耳からワークをして頂いた時、
「入り方がおかしい、不要なものを抜かれないようにリリアンのような形状になってしまっている」
と指摘して頂いて、
やっと、『やらなくて良いのにやってしまっていた事』に気付きました。
それは…
主人公の過去の暗く苦しい側面を観たことで、
「この中にきっと自分の中に何か引っ掛かるもの、取り入れるものがあるのではないか?」
と敢えて探しに行っていたこと。
映像作品や本に関しては、「『単なる作品として観る』という感覚で観る対象(或いは読む対象)」から外れていたみたいです。
むしろ、『そこから学ぶものがあるモノ』の対象としておりました。
これも、考えなくて良いのに深く悩もうとしておりますね。。。
セミナー内では、
ブレスの扱い方が雑な人は
「そもそものモノや生活、生き方に対しても同じような扱い方をする」
「『何かと向き合う姿勢』そのものに目を向けて見直してみる必要がある」
とお話しされておりましたが、、、
【正面からぶつからず“いなす”という向き合い方】
【目の前の出来事や、耳に入ってくる情報が全て私にとって必要とは限らない。】
【過去の処世術は今必要とは限らない。】
【その言葉の意味する内容は人それぞれ違う】
講座内で講師がおっしゃっておりましたこの辺り・・・
デトックスワークも大事だけど、それ以前の土台として必要な部分ですね。
普段の『無意識にやってしまっている、向き合う姿勢と立ち位置』に対して強く反省したセミナーでもありました。
例え目の前の人には気を付けていたとしても、それ以外の部分が無防備な状態な訳で、、、
この癖をやり続けていたら、
ダークな主人公と遭遇する度に、同じように同調していただろうし、
それが積み重なれば不調に繋がりますね。
今、気づけて良かった。
やはり参加して良かった。
今回の参加者の方々は、皆さま、認定セラピストの方。
皆さまに施術して頂き、糸が入ってくる時や抜かれる感覚が違って面白いなぁと感じました。
ある方は、テキパキと素早く丁寧で完璧な感じがしました。
ある方は、プルンツルンと滑る感じが優しくて心地よい。
そしてある方は、ホクホク、満ち足りる感じで幸せになれました。
これは「フルオプション装備のブレス」をお借りして使わせて頂いた時も感じたので、
(入ってくる糸も満ち満ちた感じがして、思わず涙が溢れちゃうくらい)
ブレスの持ち主のデトックスワークに対する姿勢なんでしょうね。
とてつもなくデトックスワークをやり込まれている方々とご一緒出来て、
もっともっと自分の為にやりたいなぁと思いました。
デトックスワークを通して、生きる姿勢も考える。
物理とは切っては切り離せないですね。
今回も深い内容でした。

